UpDate 2004.05.07


103系通勤型電車とは?


103系通勤型電車は1963(昭和38)年から1984(昭和59)年にかけて
3467両製作され、国電の顔とも言える存在でした。

通勤電車としては、最初に101系が製作されました。
101系は、編成全車両を電動車にして高加減速性能を実現しようとしたのですが
結果的には地上設備が追いつかずに挫折してしまい
(トレーラー車を組み込んで、性能ダウンしてしまいました)
山手線のような駅間の短い線区では不経済なので
経済性を重視して設計されました。

その後、通勤線区の輸送力強化と老朽化した旧性能電車の置き換え用として
東京・名古屋・大阪地区に順次投入されました。
元々は山手線のようにに、駅間が短く+最高速度の低い線区を想定していたにも関わらず
常磐快速線や東海道・山陽緩行線・武蔵野線などに投入され
また、民鉄各社が技術革新により半導体を使用した高性能電車を
製作していた時期でも103系を製作するなど
全国で標準化を推し進めた巨大組織国鉄を具現化したような電車でした。

その為、常磐快速線や東海道・山陽緩行線では特急・新快速のスピードアップの妨げとなったり
(60km/hを超えると加速がめちくちゃ悪く、高速性能も無いに等しい)
武蔵野線では夜になると地面から103系のモーター音が地響きのように聞こえてくるなど
さまざまな話題を提供してくれると同時に
鉄道ファンの間からは「国電史上最大の駄作」ともいつしか言われるようになりました。

その後JR移行後も通勤輸送に頑張ってきましたが
JR東海ではとっくに全車廃車となり、JR東日本も車両更新工事で延命を図りましたが
経済性の高い電車(209・E231系)への置き換えが急速に進行しています。

JR西日本は、岡山・下関地区に残っていた115系非冷房車の置き換え用として
無理矢理転属させたものの、下関地区では長距離の山陽本線の運用に入れて
「トイレが付いていない」と乗客の非難を浴びてしまい、広島地区へ追い出され
播但線・加古川線の電化の際にはワンマン改造して投入するなど
まだまだ現役で走っています。

しかし、首都圏では数年の後には姿を消す運命となります。


トップへ
トップへ
戻る
戻る